A red carnation - Believe your love... -

一輪のカーネーション

Written by 武田 具朗

 「あーん、どうしよう。もう作り直してる時間なんてないのにぃ。」
 私は、ちょっと目を離した隙に真っ黒焦げになったケーキのスポンジを前にして思わず叫んでしまった。生クリームが泡立たなくて意地になってかき混ぜていたら、ついオーブンの中のスポンジのことを忘れてて…。手作りケーキを作ろうなんて考えたのがまずかったのかなあ。こんなことならスポンジだけでも買ってくればよかったわ。なんて思っても後の祭りなのよね。うーん、どうしよう。
え?私は誰かって?そういえば、自己紹介がまだだったわね。私は館林見晴、私立きらめき高校の三年生…だったの。そう、高校はついこの間卒業して、今は気楽な春休み。無事に大学にも合格して進路も安泰、色々な心配から開放されて、久しぶりにのーんびりとした気分。そんな私が何で慣れないケーキ作りに悪戦苦闘してるかっていうと…。

 私の通っていたきらめき高校には一つの伝説があるの。卒業式の日に校庭の外れにある大きな木の下で女の子から愛を告白したカップルは永遠に幸せになれるって。いつの頃から言われ始めたのか知らないけど、入学式の翌日にはクラス中の女の子が伝説のことを知っていたっけ。まあ、私立高校だけあって、みんな違う中学校から来てるから共通の話題なんてそんなものだけどね。
 そして彼に出会ったのは、入学式の日。クラス分けの掲示板の前で自分の名前を探している時に、ふと横をみたら彼がいたの。その時からの一目惚れ。入学式の最中も彼のことばかり考えていたっけ。なんて名前なんだろう?スポーツが得意なのかな?それとも勉強が出来るのかな?趣味は何?好物は甘いもの?それとも辛いもの?好きな女の子のタイプは?もう考えることすべて彼のことばかり。入学式が終わってそれぞれのクラスに分かれた時、教室の中に彼の姿がなかったことが、ちょっと悲しかったのを覚えてる。ほどなく彼のクラスもわかって、校内でも時々見掛けるようになったんだけど、…でも、結局告白したのは卒業式の日だった。
 伝説のことを知って、彼のことを好きになって、私はこの卒業式の日を心待ちにしていたような気がする。本当はそんなまどろっこしいことなんてしないでさっさと告白しちゃえばよかったんだろうけど、どうしてもその勇気が出なかった。ううん、彼に告白してそれが実るとは限らない、それが怖かっただけかもしれない。だから、精一杯彼の気を引こうと思ってた。彼にしてみればいい迷惑だったかもしれないわね。だって、廊下でわざとぶつかってみたり、彼の家に間違い電話をしてみたり。彼が他の女の子とデートする時に先回りして人違いを装って彼に近づいたりもした。でも結局人違いだっていうこと以外は話せなかったっけ。
 本当なら嫌われても当然のことをしているって気付いたのは、もう卒業式も近くなってから。だってそうよね。知らない女の子が何度もぶつかってきたり、何度も間違い電話をかけ続けたり、それで名前さえ教えないんだもん。でも、結果的にはそれがよかったのかな。卒業も近くなって、やっぱりこのままじゃ駄目だって、彼に自分の気持ちを伝えなきゃって、そう思ったら急に気持ちが軽くなって、気がついたら私は卒業式の朝に彼の机の中に手紙を入れて、式が終わった後、大急ぎで伝説の木の下に走っていた。そこで手紙を読んで来てくれた彼に告白したの。その時は告白さえ出来ればもうふられても構わないって思ってた。とにかく彼に私の気持ちを伝えないままで卒業するのが耐えられなかった。でも、彼は私の告白を受け止めてくれたの!どうやら彼もいつもぶつかってくる私のことが気になってたみたい。もう、本当にその時は嬉しくって、だって絶対に嫌われてると思ってたから。
 そして、高校からの最後の帰り道、二人でお互いのことを色々と話しながら帰って来たの。考えてみれば変よね。お互い相手のことはほとんど知らないんだから。だから私の誕生日が三月三日、つまり卒業式の日から二日後だって知った時の彼の顔、とっても驚いていたっけ。うふふっ、今思い出してもおかしくって。でも、彼は即座に「じゃあ、誕生パーティしなきゃね。」って言ってくれた。その時の私は彼と両想いになれて少し舞い上がっていたのかもしれない。だって、いつもだったら恥ずかしくてあんなこと絶対に言えないもの。
 「ねえ、私の家に来て。私の部屋で一緒に…二人だけの誕生パーティ出来たら嬉しいな。」

 彼はちょっと驚いていたみたいだけど、もちろんオーケーしてくれた。そんなわけで今日は三月三日、私の十八回目の誕生日。そして、あと一時間もすれば彼がここにやって来る。そこで、最初の私のせりふにつながるってわけ。え?親はどうしたんだって?両親は二人とも旅行中。私の大学合格が決まったら卒業式にも来ないで、二人してとっとと温泉旅行に行っちゃったわ。曰く、お前が大学に受かるために色々と気を使ったから少し疲れた、ちょっと骨休めに行ってくる、だって。はいはい、いってらっしゃい。それにしても二人だけで行くことはないんじゃない?まったくいつまでたってもお熱いことで。娘の私が見てても恥ずかしくなるくらい。でも、そのおかげで彼を家に呼べるんだけどね。今回だけは感謝します、お父様、お母様。
 そうよ!のんびりとあの時のことを思い出している余裕なんてないのよ。とりあえず、このスポンジはもう使えないわね。もったいないけど捨てちゃうしかないか。でも、この生クリームはどうしよう。うー、あんたを泡立てる為にこのスポンジが犠牲になったんだからね。ちゃんと役立ってもらうわよ。…!そういえば確かこの辺に…。あったあった、買い置きのクラッカー。とりあえず、これに生クリームとケーキに使おうとしたフルーツを乗せれば何とかなるわね。ケーキに比べるとちょっとグレードは落ちるけど。(泣)
 用意したお皿の上に生クリームとフルーツを盛り付けたクラッカーを乗せていく。あ、こら、滑っていくんじゃない!お皿の傾斜がきついのか乗せたクラッカーがみんな真ん中に集まっちゃった。…ふーん、でもこうして見るとクラッカーがごちゃごちゃと集まってすばる星みたい。じゃあこうやって柄杓の形に並べて…と、ほら北斗七星の出来上がり。こっちのお皿はオリオン座で、こっちはアンドロメダ座…ってこれはさすがにわからないか。でも、お皿の上の小さな宇宙ってかんじでいいよね、こういうのって。
 そうそう、宇宙っていえばこの前遊園地に新しく出来たバーチャルシップ。立体映像で宇宙旅行が出来るって話だけど、あれ乗ってみたいなあ。考えてみれば私達ってデートって全然してないのよね。今度彼と一緒に行きたいな。…二人だけで旅立つ宇宙旅行。月や火星は漆黒の空間に浮かぶ宝石のよう。そして満天の星々。きれいね、って私が言うと、そうだね、って彼が答えるの。でも彼はその後、でも君の方が…、って。え、なに?って私が聞き返す。自然とお互いの顔を見つめる二人、そしてその距離がだんだんと近づいていって、私は目をつぶって…って。
 あぁもお!こんなことして遊んでる場合じゃないんだってばあ!この土壇場になるとすぐ現実逃避する癖は早く直さないといけないなあ。

 クラッカーの方は出来たから、あとは買っておいたフライドチキンをサラダと一緒に盛り付けて。とりあえず、料理の方はこれでオーケーね。飲み物はシャンペンが冷蔵庫に冷やしてあるから、これでよし、と。時計を見ると彼が来るまであと三十分くらい。何とか間に合うかな。じゃあ、次は部屋の片付けをしないと。
 特に汚くしている訳じゃないし、そんなに片付けるものとかはないけど、やっぱり男の子が入って来るとなると少し緊張するな。とりあえず、机の上にあるものを片付けて…、日記やアルバムは…ちょっと恥ずかしいから隠しておこう。窓にかかったカーテンも紐で縛ってまとめて、と。よしよし、少し部屋の中が明るくなったかな。窓際に置いてあるパンジーの鉢植えも日が当たって嬉しそう。窓際で暖かいせいか、もう半分くらいの蕾は開いて花びらを大きく広げてる。そういえば、このパンジーとももう三年の付き合いになるんだよね。ちょうど彼と知り合った後に買って来た鉢植え。あの頃は草丈もこの半分くらいの大きさだったのにね。え?なんで彼とパンジーが関係あるのかって?うーん、どうしようかなあ。実はね、パンジーの花言葉は…。
 だーかーらー、そうやって思い出にひたっている時間はないんだってば!もう、早く部屋を片付けないと彼が来ちゃうじゃない。机と窓の回りは終わったから、次はベッドサイドと棚の上の小物類の整理。あ、この写真どうしようか…。
 私が手に取ったのは、ベッドサイドに置いてあった写真立て。中にはもちろん彼の写真。一昨年、海に行った時のもの。あの時は本当にびっくりした。友達の夕子ちゃんや愛ちゃんと一緒に海に遊びに行ったら、浜辺に彼が立っているんだもの。そしたら夕子ちゃん、私の後ろでにやにや笑ってるの。後で知ったんだけど、私が彼のこと気にしてるって知ってて海へ行く計画立てたんだって。その時は夕子ちゃんに押されるようにして彼の前に行ったけど、結局何も話せなかったな。しょんぼりして戻ってきたら、思いっきり怒られたっけ。せっかくあたしがセッティングしてあげたのに何やってんの!って。でも、夕子ちゃんには本当に感謝してる。彼の家の電話番号を教えてくれたのも夕子ちゃんだし、この写真を撮ってくれたのもそう。半分、破れちゃってるけどね。え?何でかって?それは…その、…隣に、あの娘が写ってたから。彼、その頃は別の女の子と付き合ってたの。夕子ちゃんも彼一人の写真を撮ろうとしたみたいだけど、一人でいる時の彼ってとてもつまらなそうな顔ばかりしてて撮るに撮れなかったんだって。それは私にもわかった。彼女と一緒にいる時の彼はとても楽しそうな顔をしていて、ちょっとうらやましくて、そしてちょっと悲しかった。どうして彼の隣にいるのが私じゃないのかな、って。この写真を飾る時、それを思い出したら思わず半分に破ってた。結構嫉妬深いのかな、私って。
 やっぱり、これは片づけておこう。もし彼になんで半分に破れてるのか聞かれたら、答えられないもの。今度、本当に二人で写真を撮ろう。そして、この写真立てに飾ろう。
 最後の仕上げ。部屋の真ん中のガラステーブルにおろしたての真っ白なテーブルクロスをかける。これでお部屋の用意は完璧。はあ、とりあえず何とかなったあ。

 彼が来るまでもう少し。最後に洗面所に行って自分自身の身仕度。いつものように髪を梳かして頭の上で二つ丸く輪を作るように編み上げる。そして、お気に入りのビーズの髪留めでしっかりと止めて、と。これで見晴流コアラセットの出来上がり。うん、今日もうまくまとまったわ。でも、普段からこんな手間のかかる髪型してるわけじゃないのよ。いつもはただ普通のロングヘアにしているの。彼に私のことを印象づけてもらうために始めたんだけど、いつの間にか彼の前に出る時はこの髪型をしていないと不安になるようになっちゃって。本当は今日、髪を下ろしたままでいてもいいんだけど、やっぱりまだ不安で。何でかわからないけど、この髪型が私に勇気をくれるような気がする。でもいつか、彼に髪を下ろした私も見て欲しいな。
 最後の仕上げに唇にルージュ。ほんのりと赤く色づいた唇。彼、気づいてくれるかな?

 …遅いわ。もう約束の時間から十分も経っているのに。忘れているなんてことはないでしょうけど…。はっ!まさかここに来る途中に事故に遭ったなんてことは…。あーん、そんなの嫌よ。神様お願いします、彼を無事にうちまで送り届けて!
 ピンポーン。唐突に玄関の呼び鈴が鳴る。私は大急ぎで玄関に向かい、そしてその扉を開ける。そこに立っていたのは彼。着慣れないジャケットにネクタイを絞めて、まるで七五三みたい、なんて言ったら怒るかな。
 「ごめん、遅れちゃって。これ買ってたから。」
 そう言って彼が差し出したのは、バースディケーキが入った箱と一輪の赤いカーネーション。
 「えと、たて…見晴、誕生日おめでとう。」
 彼ったら顔を真っ赤にして私の名前を呼ぶ。卒業式の帰りにこれからはお互い名前で呼びましょって約束したんだけど、まだ少し恥ずかしいみたい。呼ばれた私の方も何かくすぐったいような感じ。でも、とても嬉しい。
 私は、ありがとうと言って彼からのプレゼントを受け取る。
 「その、プレゼント何がいいかなって思って、考えてみたら俺、たて…見晴の好みは何も知らなくて、それで花なら無難かなと思って花屋に行ったんだけど、俺、花の名前なんか全然分からなくて。で、店の中見てたら、そのカーネーションがとてもきれいに見えて…。でも、よく考えてみたらカーネーションって母の日のプレゼントだよな。は、はは…。」
 彼、私へのプレゼントがカーネーションの花一輪ってことを気にしてるみたい。でも、私とても嬉しかった。この時期ならチューリップとかストックとかポピーなんかが出回ってるけど、カーネーションはまだ南の方で作られた早生のものが出始めるくらいで、お店にもそんなに入らないの。やっぱり母の日の前が一番売れるから、どこでもそれに合わせて作るのね。だからこれ結構高かったはず。一輪しか買えなかったのも無理ないわ。それに…。
 いつまでも玄関で立ち話していてもしょうがないから、私は彼を部屋に案内する。彼も少し緊張してるみたい。もしかして女の子の部屋に入るのって初めてなのかな。そうだったら嬉しいけど。
 彼を部屋に待たせて、私は台所から用意したごちそうを部屋に運んでいく。クラッカー、フライドチキンとサラダの盛り合わせ、シャンペンとグラスを二つ。でも、私が何か持ってくるたびに、彼がへえとかほおとか感心したような声を出すのには、ちょっと照れくさいやら恥ずかしいやら。だって、この中で私が作ったのって生クリームをかき混ぜただけなんだもの。(苦笑)
 最後に彼のプレゼントをガラスの一輪挿しに挿して持っていって、窓際のパンジーの鉢植えの隣に置く。赤いカーネーションがお日様の光を浴びてきらきら光ってる。隣のパンジーも気のせいか嬉しそう。
もう一つの彼からのプレゼントをゆっくりと箱から出す。わあ、「Happy Birthday Miharu」ってちゃんとチョコで文字が書いてある。こういうのって確か予約しておかないと作ってくれないんだよね。…え、確か彼が私の誕生日を知ったのって卒業式の帰りで、今日は二日後の三日、ってことはこれすごく無理したんじゃ…。そう思って彼の顔を見ると、彼ったら自慢と気恥ずかしさが混じったような顔してた。うーん、こうなってみると、ケーキ作りに失敗してよかったのかも。
 彼がシャンペンのコルクを抜き、二つのグラスに注ぎ分ける。二つのグラスが重なり合い、チンという澄んだ音を発する。彼との二人だけの誕生パーティ。夢にまで見たってのは大袈裟だけど、まさか本当に出来るなんて思わなかった。彼が私の顔を見つめる。私も彼の顔を…ってやっぱりまだ少し恥ずかしい。私はついと窓際の花達に視線を向ける。背の高いカーネーションにパンジーが寄り添っているように見えるのは私だけかな?あ、彼ったらまだプレゼントにカーネーションを選んだことをすごく気にしてるみたい。ほら、今も私が花達の方を見たら、彼ったら気まずそうな顔をして。確かに普通カーネーションっていうと母の日のプレゼントだけど。でもね、私はすごく嬉しかったんだよ。もし他のどんなものを贈られても、この一輪の赤いカーネーションに勝るものはないって思うの。

 だって、パンジーの花言葉は、「私のことを想って」
 そして、あなたは知らないと思うけれど、赤いカーネーションの花言葉は…。

 「あなたの恋を信じる」


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