最近とくに親父に威厳がなくなった気がする.たまに実家に帰るとなんか不条理 なことで怒ってたりしてて,昔ほど話のつじつまがしっかりあわなくなっている ような気がする.怒ってないときなんかに話すると,なんだか弱気なというか, 「お前がそう思うならそうなんだろう」的発言も目についてくるようで,なんか 俺の記憶している親父じゃなくなってるような気がする.
歳なのかねぇ.親父も俺も.
昔の親父はそもそもきつい親父で,どなるわ殴るわ(殴るのはごくごくたまにだけど) そりゃもう怒られっぱなし.それでも親父のいうことはどことなく当たってた. 人生経験を雰囲気で語ってたというと変かもしれないが,そういう感じ.何で 怒られたかあんまり記憶はなくって,どちらかというと他人を怒ってたことばかり 記憶にはある.唯一覚えているのは「問答無用で殴られた」一件だけ.
小学校4年生ぐらい.庭とも呼べない文化住宅の隅っこの土のむき出しの部分に 学校からもらって来たんだと思うマメの種を植えて育てていたりなんかしていた 俺.生命の貴さとかそんなんはどうでもよくて,なんか世話してると愛着がある ってやつだったと思う.ところがある日,ちょうどその日は親父と一緒にどこかの 工作機械の展示会なぞを見に行くということで,俺は一足速く家から出てたわけ. そうすると,なんか近所のガキ,たしか3ないし5歳ぐらいのガキんちょが俺の 菜園のマメの双葉をいじってる.
そのくらいのガキだと下手すると芽をひっこ抜かれてしまいかねないと判断した 俺.他人に自分の苦労や愛着をむざむざないがしろにされるってのは腹が立つわけ で,おれはそうならないために先手を打とうと,そのガキんちょの頭をこつんと やって「ひとの大事にしてるもんにさわんなよ」とかなんとか言うたんだと思う. 俺的には「先手を打とうとした」わけだから,別にどなったり殴ったりしたつも りはさらさらない.
そこから先の記憶はやや曖昧なのだが,そのころも十分中学生ナミの体格してた 俺なわけで,ガキんちょのほうが殴られたと思ったかなんかしたんだろう,泣いたか 親に告げ口したかで,俺はどうやらワルもんになった雰囲気だった.俺としては, 自分の菜園をあらされたわけで,文句を言いたいのはこっちとばかり,泣いてた ガキかその親かどっちかにはガンとして強硬な態度を取っていた.
親父登場.「なにやっとんじゃおまえはぁ!」の一言と同時にいきなり一発バチン とやられたわけ.もちろん,理由も状況もなんも聞かん.親父も俺がガキをいじめた ように取ったとはおもえないんだが(そもそも俺は気が弱いメソメソ坊やだった わけで),どちらにせよ,その場はその一発ですべて片付いた.その場は. もちろん,その後俺はずっとふてくされ続けた.自分の菜園にかけたプライド全部 ぶち壊されたわけで.
後に親父は「あの場やったらああするしかかたづかへんやろ」と言っていた. 今にして思えばそうだろう.誤解かどうかはともかく,ややこしい状況を生んだ 原因の俺を処罰すればそこから問題が派生することはない.状況を解決するという 面では親父のやり方は荒っぽいが間違いではないだろう.
そんなむちゃくちゃな親父を敗けさせることが,俺の心の中で目標になった. もちろん勝てるわけはない.親父はスポーツマンだったし,頭もそんなに悪い 方ではない.度胸と状況判断はこのとおり.
だからこそ,負かしてやりたかった.
子供の頃親父に勝った記憶が二度ある.一度は小学校だか中学校だかのとき. 夏祭であった.あったのだが,俺は遊びに行けなかった.親が行くなと言った からである.とはいえ祭にさえいけないなんてのは,とてもじゃないが許せない. 親父に直訴したのも引込みな俺としては珍しかったと思う.
親父は「将棋で勝ったらいかせたる」と言った.その頃は将棋でも親父には あんまり勝てなかったが,そのときは神の偶然か親父が手を抜いたのか,とに かく勝った.親父は将棋板を投げ捨てて「どこなと行け」.
もう一回は高校3年かか大学入ってからか.駐車場をダッシュで2往復.なんで そんなことをしたかは覚えてないが,体力的にずっと負け続けていた親父に, そのときは圧勝した記憶がある.親父は体力が落ちる一方,俺は体力が向上する 年齢である…当り前なのだが,負けた親父のさっぱりした顔が俺の中に違和感 を残した.もう戻れないんだよなと感じた記憶がある.
親父の威厳を感じなくなったのは,そのころからかもしれない.
今では,親父と並んで選挙に行くようになった.親父と息子であり,大人の 男と男でもあり.
親父の威厳は,記憶の中にだけ,うっすら.