Chapter.5
夏の日射しは,日に日にその強さを増していた.まぶしい日射しは濃い緑
に染まった木々の間をすり抜けて地上に降り注ぐ.ミティラは梢を見上げた.
その情熱の光は彼女の頬にも間断なく,あふれんばかりの生命の力を注ぐ.ミティラ
は思い出したようにつばの広い帽子をかぶり直した.
「その白い肌が日に灼けちゃみっともないもんね.」
先の宿場町で,在庫のほとんどなかった外出用のつば広帽子を市場価格の
数倍もの値段にもめげず買い求めたロリエーンの台詞である.彼女の肌もまた,
輝くように白くきめ細やかである,とミティラは思う.彼女たち草原エルフの
一族はみな肌が白く澄んで美しいと知られている.それは,彼女たちがより自然に
近い生命であることの現れである,と彼女たち一族の間では語り継がれていると
言う.
灼けた素肌もまた自然の色ではないか,というのはキティア.
彼女はその小麦色に近い肌を太陽の元に惜しげもなく披露していた.もと
もと色黒の彼女はこの夏という季節が好きだという.解放的で,喜びや楽しさに
満ちあふれているからと.子供っぽい瞳で彼女はいつもそういう,夏になったら
川辺で水遊びをしよう,と.
しかし,旅の速度を緩める事は許されない.
胸に手をやる.小さな箱の感触.恐るべき力を秘めた生命がこの胸に眠って
いる.伝説の卵,全てに幸せを,そして全てに破滅をもたらすこともできる貴重で
危険なものが,このちっぽけな飾り気のない真鍮の箱に納められている.
自然に返さなければならない.この卵はこの世界に存在すべきものではないの
だ,とミティラは思う.彼女たち卵を運ぶ者たちすべてに共通の思いがそこに集約
されている.あらゆる権力者,碧眼竜を初めとする力ある者たちが,さらなる無限の
力を求めて食指を伸ばしているのだ.彼らに奪われる事だけは,あってはならない!
そんな旅に,ひとりのちいさな同行者が増えた.
「何やってんだよ,天気もいいんだし,もっと速く行こうぜ!」
ネスティ,と呼ばれている.誰が付けたかは定かではない.母親も父親も誰で
あるか,確信することができない.思い出もない.それでも彼女は生き延びてきた.
底抜けに明るいちょっといたずら好きなお転婆娘に,そして純粋で正直な子供に
育ってきた.環境が人を育てるというなら,彼女はその苛酷な環境で人の生き方を
深く学んだのだろうか.誰とも知らぬ娼婦の捨て子として,貧民街に育ってきたと
はとても思えない.ミティラにそれを思い出させるのはその悪ガキじみた言い回し
だけであった.
「だめじゃ,馬が疲れる.」
「へえ,まともに乗れもしないくせに馬のそういう気持ちは
わかるわけ?」
「当り前じゃ.何年冒険者をやっておると思っとるんじゃ.」
ロリエーンの悪戯な質問に,ドルバはむっとしながらも,それでもちゃんと
答えを返す.普段の彼らの会話はこうして丸く収まり,時には口喧嘩になる.それが
彼らのやり方ですよ,とツカサが言っていたのをミティラは思い出す.人は誰しも
自分に見合った生き方,それぞれに見合った付き合い方というものを持っている.
それに逆らって生きることは,それまでの人生を否定することに繋がり,それは
正しい生き方ではないのだと.ただ,いつでもそれをむき出しにするのではなく,
理性と言う名の覆いで柔らかく抑えることが肝要である,その点では彼らは失格
ですけどね.とわずかに微笑んだようにツカサは言ったものだった…
急に馬車が止まり,ミティラの回想は突然中止させられた.
*
「囲まれたみたいね.」
リューナの声が厳しくなった.
キティアが街道の左右の林をさっと見回す.街道とはいえ,すでにブルー
フォックスの街からは随分離れたため,道幅はかなり狭くなっている.馬車二台
がすれ違うのがやっと,というところだろうか.もちろんこのあたりまで来ると,
山賊よりも怪物や野性の猛獣に襲われることの方が多い.
「右手に…10.左側が…12,ぐらい.相手するには
ちょっと多いかも知れないよ.」
「相手は何じゃ?人間か?」
「ううん,たぶんゴブリンだと思う.」
ドルバはニヤリと笑った.御者台から飛び降りて斧を構える.リューナは
剣ではなく弓を手に取った.素早く矢を取り出すといつでも構えられる体勢を
取る.アヤは馬車から降りていたミティラとネスティを庇う場所に立った.キティア
の手にも既に投げナイフが握られている.
妖魔たちが,動いた.
一斉に何本もの矢が放たれる.何本かはドルバに当たったが,彼の頑丈な
鎧を貫くほどの勢いはない.ある数本は馬の胴体に命中したが,これも馬に着けさせ
ていた革の鎧に守られた.馬が嫌がるからとロリエーンが猛反対したのだが,その
反対を押し切った鎧が馬の身を守ったことになる.
キティアのナイフが宙を舞った.それは狙い通りに妖魔の一匹に突き刺さる.
悲鳴ひとつ上げる間もなくゴブリンは地面に倒れ伏す.腹に深く突き立ったそれは
妖魔の命を奪うには十分であった.隣にいたゴブリンは,次の矢をつがえる前に
リューナの放った矢に貫かれた.
ドルバは薮に飛び込み,弓から剣に持ちかえようとあたふたしていたゴブリン
を数匹まとめて薙ぎ払った.直撃を受けた最初の一匹は斧の一撃で胸板がひしゃげる
鈍い音をさせ,そうでない者はその死体に突き飛ばされ,その場に激しく転倒した.
突然のことに付近のゴブリンたちは呆然としているしかなかった.
それでも数で勝るゴブリンたちは,武器を持ち換えると薮から飛び出し,
馬車へと殺到してきた.
『大地よ,我らを守れ!』
ロリエーンが両腕を水平に広げ,呪文を紡ぐ.突然大地からいくつもの石粒が
弾け飛ぶと,それらは走り込んできたゴブリンの頭上に雨あられと降り注ぎはじめ
た.その石礫による打撃はたいした傷をあたえることはないものの,突然起こった
魔法に恐れをなし,大半のゴブリンが平静を失った.
「アヤ,あんたもドルバとツカサを手伝いなさいよ!」
「ボクはミティラとネスティを守ってるんだよ!」
「そんなところまでゴブリンを行かせないわよ,ほら!」