Chapter.2

ブルーフォックスの町を出ると,眼前には穏やかに流れる河がある. もちろん,セスティアの主たる貿易交通路である大河リアーには比ぶべくも ないが,このモール河もかなり広い.その河岸沿いに街道が走っている.はじめは 河に沿って東に,そして河の蛇行に伴って北へ,河の流れに外れながら伸びる 街道,通称「竜神街道」である.
街道のもう一方の終着点は,レッドベアと呼ばれる鉱山町である.ドワーフや 人間の工夫たちに混じって,一獲千金を夢見る山師たちも多く住み着き,今や人口 二千を数える大集落へと変貌している.そのレッドベアまで約 60 マイル,さらに そこからブルーフォックス男爵領を抜ければ,未開の地域が広がる.未開とはいえ, 一部にはまだ地図にも乗らないようなちいさな開拓村が点在しているが.
「いい天気でよかったわ」
ロリエーンが馬の手綱から手を離し,うんと伸びをした.金髪が河から吹いてきた そよ風に揺られ,キラキラとさざめく.ロリエーンは馬にささやきかけた.馬は さっと駆け出した.
「どこへ行くんじゃ!」馬の上であたふたしているドルバがたてがみにしがみ つきながら叫んだ.もちろん,当の本人には聞こえている様子はなく,万が一 聞こえていたとしても返事をするつもりがあったかどうかは疑わしい.
「まあ,気のすむまで駆けさせておいたらいいんじゃない?」
「そうそう,いつもドルバとの口喧嘩でばかりストレス発散してたんじゃ,飽きて くるもんね」
リューナの言葉にアヤが同調するが,ドルバはかぶりを振る.
「いや,ロリエーンの奴,碧眼竜を甘く見ているんではないかと心配での」
ドルバは真顔だった.
「碧眼竜はそこいらのゴロツキとはわけが違う.その腕前も然りじゃが,綿密 な作戦と大胆な行動はワシら冒険者でも舌を巻くことが多いと聞く.特に,普段安全 じゃと思い込んでおるところほど危険が増す.気を抜けば餌食じゃ」
「でも,いつもそう目くじらたててばかりじゃ,これから先もたないよ」
アヤが手綱を弾きながら答える.馬は不満そうに鼻を鳴らしたが,彼の指示に 従った.彼の馬の背には,荷物の代わりにミティラが乗っている.どうやら,馬は そのことで不満があるらしい.ミティラは,アヤに同意するようにうなずいた.
「まあ,それはそうなんじゃが…」
「そんな悠長なこと,言っている場合じゃなさそうね」
突然話の腰を折るように,リューナが緊張した声を出した.既に手には長弓を 備え,矢をつがえている.同時に,ロリエーンが馬をめぐらせて走ってきた.
「何ぼけっとしてるのよ! あの馬車,賊に襲われてるわよ!」
ロリエーンは振り返って指さした.遥か前方ではっきりとは確認できないが, 何やら小競り合いらしき様子がみて取れた.ちょうど,荷馬車につながれていた らしい馬が一頭逃げ出そうとしていた.
「えーっと,賊のほうが13人で,馬車の護衛は5人かな.馬車の護衛の方は 魔法を使えるひともいるみたいだけど,数で負けてるかなぁ」
キティアがさっと目を細めると,普段と何も変わらない,のんびりした口調に 聞こえる彼女らしい喋りかたで状況を説明した.本来は無視して通っても文句など 言われる義理はないのだが,もちろん,素通りさせてくれるとはとても思えない. さらに言えば,賊のひとりでも…できれば首領級がいいが…正規軍の警備兵にでも 突き出せば,ちょっとした別収入にありつくこともできる.前回の廃虚での身入りは すこぶる好調だったが,金はあって困るものでもない.
「よっしゃ,いっちょもんでやるかの」ドルバが急に元気を取り戻して言う.
「神の思し召しでしょう」
ツカサも同調するように言う.ロリエーンが再び馬の頭を巡らせ,遅れじと他の 仲間も続く.リューナが不安定な足場から矢を放った.狙いは大きくそれたが, 戦線布告を促すには十分であった.劣勢だった護衛たちから喚声が上がった. 敵に増援が来たとでも思ったのだろうか.しかしそれも,第二矢が哀れな賊の腕に 突き立った時に,歓声に変わった.
ドルバが戦斧を構えて馬から飛び降りる.ロリエーンが空馬を受け持ち,戦いから 遠ざけた.アヤは乱戦の流れ矢を器用に避ける.彼の手には,普段の戦いに用いる 連接棍棒ではなく,馬上用の短刀が握られている.
「礼を言うぞ,ドワーフの戦士よ!」隊長風の,それでも未だ経験のあさいらしい, 日に灼けた戦士がドルバに言葉を放った.彼の持つ両手持ちの剣はその瞬間にも 賊の曲刀を凌いではいたが,その手つきはお世辞にもうまいとは言えない.
「礼は勝ってからにするんじゃな,若僧」
ドルバは飛びかかってきた賊の刀をかるくかわすと,その腹に戦斧の先で突きを 入れた.倒れ込む賊の体を,靴の泥を払い落すかのように跳ね除けると,賊は尻から 地面に落ちた.背後からはリューナの弓の音に加えてロリエーンの罵声が聞こえて いる.
援軍の到着で状況が変わったのを認めたのか,賊は獲物を諦めたらしく,傷つい たものもそうでないものも一斉に退却をはじめた.いきりたって追撃しようとする 若い戦士を抑えてドルバは言った.
「命を粗末にするな.生きていることこそワシらの勝利じゃ」
「ちょっと! なんで追いかけないのよ! 逃げられちゃったら何の解決にもなら ないじゃない!」
ロリエーンが悔しそうに叫んでいる.リューナはほっとした様子で弓を手放し, 馬の鞍に戻した.手ぬぐいを荷物から取り出し汗を拭う.敵味方,どちらの側にも 負傷者はいたものの,死者はでなかったようだ.
「ありがとうございます.命拾いをしました」
さきの隊長風の戦士が手をドルバに差し伸べながら行った.がっしりした筋肉質の たくましい男だった.戦士としても,人間としても好感の持てそうな風である. ドルバは軽く握手をかわして言った.
「ま,若いうちに苦労はしておくんじゃな.それで,お主らどこまで行くん じゃ?」
若い戦士は一瞬間をおいたが,すぐに答えた.
「ええ,砂糖と塩を運んで次の村まで…ええと…」
「ハンス,じゃなかったか?」
馬車をはさんで反対側で戦っていたらしい,こちらも戦士風の男がやってきて 答えた.顔の傷は,彼がまっとうな人生を歩んで来たわけではないことを示して いるようだった.そもそも冒険をする旅人にまともな人生を求めるほうがどうか していると言えなくもないが.遅れて,魔法使い風の男が二人,神官風の男が 一人やってきた.
「これがわれわれの仲間全部です.何分冒険者稼業というものが初めてで, 今回は荷物運びという傭兵仕事を受けて多少の資金を稼ぎながら,開拓村の向こう へと行こうと思ったのですが…斡旋の奴らからは『たいして危険があるわけでも ないっすよ,荷運びなんざね』なんて言ってたくせに」
「すっかり当てが外れた,というところですね」
「冒険者稼業なんてそんなものよ.せいぜい体には気をつけることね」
ツカサの後をリューナが継いだ.
「それで,申し訳ないのですが…我々はこのとおり,街道に出没する賊さえも ろくに追い払えない始末なのです.ぜひ,我々と同行して,冒険の何たるかを, 教えていただきたいのです」
この提案に意外そうな顔をしたのは,ロリエーンだけでは無かったし,ロリエーン の仲間たちだけでさえなかった.あからさまに羞恥心を不満に置き換えたような顔 をして,さきの顔に傷のある戦士が文句を言った.
「護衛に護衛がつくなんて,聞いたことないわ」
ロリエーンが茶化すのをリューナが制止する.彼らがバツの悪そうな顔をするの は,まさにこの一点に尽きる.忌々しそうに舌打ちをしてロリエーンを睨むのは さきの戦士だが,ロリエーンはその視線を平然と無視した.戦士も今の言葉は 認めざるをえなかった…でなければ,死ぬしか無い.死ぬのは一番馬鹿のやること だ.
「ボクは賢明な判断だと思うよ」といったのはアヤである.「そりゃ確かに, 分け前は減っちゃうかもしれないけど,ここで死んじゃったら,どんなに豪華な 宝物を報酬にくれるはずだったとしても,ゼロになっちゃうもんね.それに」
アヤの目が輝く.「なんたって,道連れは多いほうが退屈しないでいいもん!」

*

「ドルバ,もしかして」
切り出したのはロリエーンである.
「もしかしてさ,馬に乗るのが嫌だから,っていう理由で,御者台に乗ろうって いうそれだけの理由で,彼らを助けた,なんてこと,ないわよね?」
「それがどうかしたか?」
あっさりと肯定され,ロリエーンは一瞬躊躇した.が,それも一瞬であった.
「ちょっと! この馬はただじゃないのよ! かわいそうに,広野をのびのびと走って いるところを捕獲されてこうして荷物を運ばされてる運命になって…それだけじゃない のよ,あなたみたいな馬の気持ちなんか全然考えないドワーフなんかに乗り捨てに されるってこと,馬にとってどれだけ屈辱かわかってる?」
「ドワーフなんか,とは何じゃ.お前のようないい加減な奴にワシらの繊細さが わかるものか」
「何が繊細だか,酒樽に何か知恵があるの?」
「光物にしか頭の働かん奴に言われる筋合いはないわい」
「…また始まった」
キティアが言う.神官らしき男が彼女らの様子を見て不思議そうにつぶやく.
「あれでよく一緒に旅をしてますね」
「それが,大丈夫なのですよ.神にもわからぬ偶然の産物,とでも申しましょうか」ツカサの台詞は,真実味を帯びて聞こえたのだろうか.ともかく,街道での大喧嘩の ため,この馬車の出発が優に一時間は遅れたのは言うまでもあるまい.再び馬車の車輪 が回りはじめたのはもう昼下がりの時刻も遠く過ぎ去っていた.しかし,歩を進め ながらも,彼らの喧嘩は留まるところを知らない.

*

太陽が地平線のかなたへとその姿を隠そうとしていた.残照は街道に照り栄え, 幽幻の様相を木々に,草花に,人々に映し出していた.辺りは急速にその色を濃く しはじめている.そろそろ灯が必要だろうか.馬車を先導しているツカサの馬も, その乗り手共々輪郭があやふやになってきている.
ドルバは両手を天に突き上げ,鷹揚にあくびをしたあと,隣に座っていた隊長 風の戦士に問いかけた.
「どうじゃ,そろそろ夕飯にせんか? それとも急ぎか?」
「そうですね…まあ,荷物さえ無事なら多少遅れても困らないでしょう.どうせ 砂糖と塩ですし.重要な品物というわけでもありませんしね.このあたりで一日 野営をして,明日の昼ぐらいには着けるでしょう」
というわけで,一行は馬車を止めた.街道が見える,少し土地の高くなった ところで野営することにした.キティアが器用にロープを結び,広葉樹の太い幹と 馬たちとをつなぎとめた.戦士と魔法使いが,馬車から天幕を取り出そうとして いる.馬車の幌の中は,麻の袋で満杯だった.火はすでにツカサとリューナが起こし はじめている.ほどなく炎が上がり,同時に太陽の残光も消え果てた.
意外にも,この野営を喜んでいたのはロリエーンだった.
「たくさんの人を相手に料理するのって久しぶり.ミティラさん,キティア, 手伝ってくれる?」
薪に火が移ると同時にロリエーンは嬉しそうにそう言った.ミティラがうなずき, 荷物の中から調理道具を一式取り出した.天幕を張り終わり,様子をみている新米 冒険者たちは,やっと腰をおちつけることのできる時間ができたのを期に,そろって 思っていたであろう疑問を口にした.
「こんなに女の人が多いグループは,珍しいのでは?」
「まあ,いろいろあっての」
「神の思し召しでしょう」
「ボクはミティラがいれば他に誰もいらないけどね」
男たちの答えは,簡潔だった.
「結局,技量や天性の能力といったものには男も女もない,ということでしょう. 女性を軽んじる部族があれば,重んじる部族がある.平等に扱うところもあるで しょう.優劣を明確につけられるほど,両性には差はないということです.全ては 神の作りたもうたもの…とまあ,宗教論者が語り出せばこうなるのですか.私には よくわかりませんが」
ツカサが諭すようにつけ加えた.
納得したのかしていないのか,彼らの表情はほとんど変わっていない.傷のある 戦士などは,何やら苦虫を噛み潰したような表情のままである.焚火の光が男たちの 顔を照らす.女たちが楽しそうに料理をしている間,彼らにできることといえば 辺りの監視ぐらいのものだが,それさえも女戦士のリューナがかってでている.
要するに…彼らは,暇なのである.
ドルバはなんとはなしに,地面に落ちていた木片を拾い上げると,自分の荷物を まさぐりはじめ,やがて小さなのみとハンマーを取り出した.そして,表面に何やら 細工を彫りはじめた.本来は金属加工で真価を発揮すると言われるドワーフの工芸 手腕であるが,そもそも手が器用であることには変わりない.
ロリエーンは,それが気に入らないというのだからどうしようもないのだが. 彼女は,自分が目をつけた装飾品や宝石の数々がドワーフの手によって細工されて いるという事実が気に入らないらしい.
リューナが戻って来た.辺り一帯に野営のあとが多く見られたらしく,この 場所が野営向きであることは間違いなさそうである.
「ここなら夜中に不意打ちをされる心配もありませんね」
「だといいんじゃがな」
隊長の台詞にドルバがそっけなく答えた.
「それにしても,料理まだ?」
「もうちょっと待ちなさいよ,今最後の仕上げを…これでよし,ばっちりね. さすがあたしって料理の天才」
ロリエーンが鍋のスープを一口味見して感想を述べた.キティアとミティラが 早速食器の準備を始める.ドルバは喉元まで出かかった喧嘩の火種をぐいと飲み込 んだ.手元があやうく滑りかける.
「みんなー,ごはん出来たよー」
キティアの嬉しそうな声.男たちもほっとした様子で腰をあげる.ドルバは作り かけの細工をぽいと焚火の中に放り込んだ.おやっという顔をした神官にドルバは 答えた.
「なに,竜はワシのお気に入りではないんでな.それだけじゃ」
どっしりとドルバは食器のそばに腰を下ろす.目の前にはいい香りと温かそう な湯気をあげるスープが配られている.男たちはスタートの合図も待たずに…そもそも そんなものはなかったが…まるでなくなるのを恐れるかのようにスープをがっつき 始めた.
ツカサの姿はない.馬車の側で監視をしているのだ.ロリエーンがスープを, さめないうちにと彼のところへ運ぶ.ミティラは男たちの食べっぷりを微笑みながら 観察し,鍋が焦げ付かないようにゆっくりとスープをかき混ぜている.
「温かいスープが飲めるなんて,俺たち意外とツイてるのかもな」傷の戦士が, 先程までとはうって変わった表情をする.腹が減っては戦が出来ぬ,といったところ であろうか.
「それにこんなうまいのは,街でもそうそう食える物じゃないしよ」
「何言ってるの,当り前じゃないの」
突如背後から声がして,一瞬ぎょっとする戦士.ロリエーンだった.
「あたしの料理の腕は,そこいらの料理人なんかよりよっぽど上よ. このスープの素だって、できあいの調味料なんかじゃなくて,あたしが野菜から じっくり煮込んで作った特製なんだから.美味しくないなんて言ったら,タダじゃ おかないわよ!」
そう言いながらも,顔は笑っている.
スープは見る間に空になった.
「御馳走になりました.ありがとうございます」
「明日の朝にはもっと美味しい料理を作ってあげるから.楽しみにしてて いいわよ」ロリエーンがそう言って楽しそうに笑った.ミティラの微笑みは終始 絶えず,彼らを見守っていた.彼女もロリエーンも,自分の作った食事を食べて いない.
ロリエーンの台詞を聞いたときに,男たちの瞳に宿った光を見た者は…ない.

*

焚火の火がまだ燃えている…真夜中.
当然のことながら,焚火の側で眠らない者がいる.野営を怠る者が生きてゆける 世界ではない.もちろん,ここは街道の側なので野営が必要とは到底思えないが. しかし,いかに街道沿いとはいえ,怪物や野盗が出ないという保証はない.昼間の 賊を考えても明らかなことである.
そして,これまた当然のことながら,野営に立つのは男であった.夜更しは女の 敵だとロリエーンが言い張ったからである.ドルバも面倒だったのか寝る前に喧嘩を する気になれなかっただけなのか,その時に限って反論しなかった.結局,駆け出し の冒険者たちも含めての交替制となった.
この時間は,ツカサと魔法使い風の男のひとりであった.
しかし,彼らの個苦言はもうすぐそこまで来ていた.皿に移されたランプの 油が尽きかけている.時を測るのに油の燃える時間を利用しているのである. 灯心の先についている炎が力無く揺れ,すっと小さくなった.
「おい,起きろよ」
「交替の時間ですよ」
神官風の男と,隊長をしていた戦士が起こされた.次の時間は彼らの順番で ある.ツカサは皿に油を注ぎながら作業時間について説明し,それを隊長に預けた. 魔法使い風の男はすでに横になっていた.
「では,お願い致します.くれぐれも,何かあった場合にはお二人だけで行動を 起こさぬように願います」
ツカサは最後にそれだけ言うと横になった.
見張り役だけで片付くと思われるような些細なことでも,全員を起こしておく 必要がある…これを怠るのは初心者のよく犯す失敗である.些細なことだから,と 油断して二人ともが罠にはまり命を落せば,眠っている他の者は何の手立ても打てず 眠ったまま死ぬことになる.そうして夜のうちに全滅した旅人は数知れない.これは, 見張りが眠ってしまって死ぬよりも馬鹿げた失敗とされている.
ツカサの寝息が規則性を帯びてきた.眠りについたのだろう.
なぜそんなことがわかったのか.
寝息を聞いていた者がいたからである.
隊長格の戦士がそっと,目で合図をした.神官風の男は小さくうなずくと,何を 思ったのか,彼らの仲間たちを起こし始めた.そして起こされた側も,待ちかねた ように起き上がった.そして,手には彼らの武器が握られている.
隊長の手にも,残忍な光に輝く短刀があった.
彼らは,駆け出しの冒険者などでは,決してない.その短刀を構える姿を見れば, 全てが理解できた.彼らは戦士ではない.暗殺者なのだ.そして彼らの腕にも光って いるのだろう,白銀に輝くエメラルドの瞳を持つ竜の腕輪.
碧眼竜である.
彼らは,冒険者ひとりひとりに散らばった.こういうときは,悲鳴をあげると いうことも考慮して,全員同時に殺すのが望ましい.そして,卵の在処を吐露させる ためには,一人生き残れば十分である.有害な能力を持つ者から,殺す.
彼らには,情けも義理も,あたたかいスープの礼もない.あるのは,命令だけ.
無慈悲の刃が,まさに降り下ろされようとする,その瞬間.
「何をするんじゃ!」
ドルバの叫びと,リューナの剣がミティラの首筋を狙っていた男の剣を弾き 飛ばすのとは,ほぼ同時だった.暗殺者たちは突然の成行きに,躊躇した.
一瞬の躊躇は,彼らにとって「失敗」を意味する.
目覚めた者たちは,さっと彼らの剣から身をかわすように起き上がった.アヤと キティアが,ミティラを庇う場所に立った.ドルバは何も出来ぬ暗殺者たちを睨み ながら,悠然と彼の戦斧を構える.焚火を背にした暗殺者たちと,それに対峙する 冒険者たち.さっきまで寝食を共にしていたのは,敵と味方だったのである.
「何故気付いた?」隊長が,不安を悟られないようにか,低い声で尋ねた.
「簡単じゃ.一つは,お主の服.二つ目は,賊の撤退.三つ目,負傷者の数」
ドルバは油断無く周囲を見やった.
「お主,南方生まれであろう.南方の戦士は,革鎧の下に袖ありの服など着や しないわ.なのにお主は着ておる.何故じゃ? お主の腕輪がよく知っておろう」
ドルバはいつもの調子で言う.彼らが動きを見せないので,さらに続ける.
「そもそも,あの戦いは始めからおかしかったんじゃ.お主らがもし,本当に 駆け出しだったなら,あの数の賊を相手に無傷でいられるとは考えられん. ロリエーンが馬を駆ってから二分はあったからのう.しかも,賊の連中,ワシら が到着したとたんに退却しよった.ええか,逃亡ではない,戦略的撤退じゃぞ! 負傷した仲間をかばいながら撤退する賊なんぞ,この界隈になぞおらんわい」
「料理の知識に欠けていたのも失敗だったわね」とつぶやいたのはリューナで あった.
「塩はね,何よりも優先される食材なのよ.その次が,砂糖.あなたたちは, 馬車に詰めるだけの砂糖と塩を運んでいた.ということは,次の村ではそれら が決定的に不足していることになる.だとしたら,急がなくていいなんてことを 言うはずがない」
「冥土の土産はこれぐらいでええかの」
「私たちは,人を殺めるのは本望ではありません…ですが,生存のための戦いは 神も拒むことはありません」
ツカサがそう言い終わるか終わらないか,キティアの指先から光る軌跡が描かれ た.その投げナイフは走り出そうとしていた暗殺者の一人の太腿を傷つけた. それを合図として,戦端が開かれた.
暗殺者側の魔法使い二人が,同時に呪文の詠唱を開始した.その前に二人の 戦士と神官がかたまり,彼らの詠唱を守る.ドルバとリューナは構わず二人の戦士 に挑みかかった.ツカサが一瞬遅れて加勢に入る.胸元の聖印が焚火の炎に反射 してきらめき,向かい合う男の胸にそれは,ない.
「甘いわね!」ロリエーンが叫ぶように言うと,目を閉じて両手を大きく 広げた.指先が神秘的に刻む精霊の言葉に合わせ,その柔らかく長い金の髪が 幻のようにゆらめく.不意に目を開くと,腕をぐっと胸元に引き寄せた.そして, たった一言の呪文とともに,その腕を前に,戦いの渦の方へと突き出した.
突然,戦いの背後にあった焚火の炎がグンと伸び上がり,いきなり崩れ落ちた. その火の粉は,詠唱途中の二人の魔法使いの背中に炎の雨となって叩きつけた. もちろん,無事であろうはずがない.彼らの長衣に燃え移り,火だるまとなった 魔法使いたちの詠唱は途切れ,形容しがたい肉の焼ける臭いがたちこめた.
ロリエーンが一瞬,目を伏せた.ミティラは既に後ろを向いている.アヤが彼女 を庇うように立ち,彼は目を背けることなく,二人の最期を見届けた.
リューナの頬を,男の剣がかすめた.頬に赤い筋が浮かぶ.
彼女はその瞬間に男の懐に飛び込み,隙のできた脇腹に彼女の剣を叩きつけた. 重い剣は革の鎧地を簡単に斬り裂き,骨の砕ける音を響かせた.血がその傷口から あふれ出す.リューナは傷からすぐに目を背け,間合いを取った.男は何も言わず, その場に倒れ伏した.
ツカサの瞳が,神官の視線とぶつかった.
その瞬間,神官の身体の自由が奪われた.ツカサは視線を逸さぬまま,空いた 側の手で小さく印を刻むと,右手の錫杖を神官の方へ突き出した.あらがう術も なく,彼は後ろに倒れて行き,そこは魔法使いたちが燃え尽きた焚火の炎であっ た.
「悪く思うな,若僧」
戦斧と両手剣,力同士のぶつかり合いの最中に,ドルバは低くつぶやいた. そしてぐっと剣を押し返すと,間合いを空けた.突撃に備えて体勢を低く取った 隊長格の暗殺者に,ドルバは腰から抜き取った手斧を投げつけた.ほぼ同時に戦斧を 握り直し,突撃をかける.手斧は空中で方向を急激に変えると,隊長のほうへ まっすぐに戻って来る.手斧を裂ければ戦斧の一撃をかわせない,戦斧を受け流せば 手斧の直撃は免れず,それは彼の頭蓋を砕く.ドルバは…彼の手斧が通過するはるか 下方に頭があるのだ.
ドルバは無言で,男を左肩口からななめに斬り裂いた.斧の刃は心臓に達し, 恐ろしい程あたりに血を飛び散らせながら,男は息絶えた.その最期の瞬間,隊長 であった男はドルバを悪魔の形相で睨みつけた,が,それだけだった.
手斧が目標を失い,手近の木の幹に激突する鈍い音が聞こえた.

作者の戯言

冒険にあって,敵を全滅させることはそれ自体が目的でない限り,それほど 重要な行為ではない.戦場で敵に背を向け,闇に紛れて不意を打つことは卑怯な ふるまいとされているが,冒険者として廃虚を探索し,その失われた秘宝を持ち 帰るためには,森で見かけた小鬼の一団を壊滅させる必要など毛頭ない.戦いを 好む者は良き兵卒にはなれるかもしれないが,冒険者としては三流以下である. 冒険においては,戦いは可能な限り回避すべきものである.生存確率の最も高い 行為が戦闘であるというのは,戦闘以外の選択肢が存在しない場合とほぼ等価で ある.
不思議なことに最近の若い冒険者たちは,回避できる戦闘にさえ参加する傾向 にあるという.命は一つしかない,ということを軽視しているのかも知れない. 偉大なる魔術や神の奇跡によれば命は呼び戻せるという.しかし,そんな立場に 立てるとでも思っているのだろうか,卑しき冒険者風情が.もし,立ったことが あると言うのならば,それは神をも超越する何者かの大いなる慈悲によるもので あろう…しかし,肝に命じよ! その何者かは二度と再びこちらを向くことはある まい!
全ての戦いが避けられる,とは私も思わない.だが,戦いを常に呼び寄せる 狂戦士には乙女の愛があたえられることはないであろう.もし,狂戦士が国を 建ちあげたならば,その君主は歴史家に「暴君」の呼びならわしをもって書物を 彩ることだろう!

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